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ほんとうに神様はいるのでしょうか。【平成23年6月】

1. この度の東日本大震災をうけて、日本の千葉市に住む7歳の少女が、ローマ法王ベネディクト16世に質問しました。

 「なぜ、こんなにむごいことが起きるのですか。なぜ、神様はそれをお許しになるのですか。」と。
 ローマ法王の答えは
 「私にもわかりません。私もなぜなのか問い続けています。でも神様はいつも私達のそばにいます。」

2. このことは二つのことを示唆しています。

 ①神様は私達が空想しているだけで実際には存在しない。
 ②仮に神様が存在するとしても、神様は信仰する人を救ったり、願いをかなえるようなことは出来ない。

3. キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教等、神様の存在を信ずる宗教は、人間をはじめ、この地球上のすべてのもは、神様がお造りになった被造物と考えておりますので、先ほどの7歳の少女の質問に答えられなくなってしまうのです。

  しかも、この神様の存在を信ずる宗教の影響を受けて発展してきた西洋の文明も、今や行き詰って来てしまったのです。

4.西洋文明は、人間は神の似姿である理性を持ち、それによって他の被造物を支配できると考えます。

  この人間中心主義の近代文明が、今や限界にぶつかり、このままでは人類そのものの存続が危うくなってきました。この文明の危機を乗り越えるには、人間も、太陽、空気、水、といった自然の恵みによって命を与えられ生かされている一つの生き物であるから、大自然の摂理(ルール)にもとづいた、人間として望ましい生き方を心がけることである。(梅原猛・哲学者・文化勲章受章)

5.ですから、人間は神様が造った被造物と考えるより、大自然の恵みによって命を与えられ生かされている一つ生き物であると、とらえる方が自然ではないでしょうか。

  そして自然の摂理(ルール)の中で生かされている身であれば、悲しいことではありますが、人間はいつかは死ぬものであることを、あきらめて受け入れるように、大震災も仕方がないとあきらめて、これからどう生きるかに、全力を傾けることが大切ではないでしょうか。

「あきらめる」ということは、本来、物事の事情をはっきり知る、「明らめる」という意味なのです。

6.私達人間が、命を与えられ生かされている大自然の摂理(ルール)にもとづいた、人間として望ましい生き方とは、諸行無常、諸法無我、因縁果報の摂理にもとづいた


  耐えて努力できる人になろう
  他人を思いやれる人になろう
  うそを言わない正直な人になろう



 という「宗道」の人生観です。

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