大自然の摂理にもとづいて生かされている人間がすべきこととは【平成23年4月】
1.人間は太陽と水、空気をはじめとする大自然の無償のめぐみをいただいて生きている。
だから大自然の摂理(ルール)にもとづいた人間として望ましい生き方こそ大切である。
(梅原 猛・哲学者・文化勲章受章)
2.西洋文明は人間中心主義の思想である。人間は神の似姿である理性を持ち、それによっ
て他の被造物を支配できると考える。その思想はデカルト哲学においてますます顕著と
なる。近代文明としてそれまで考えられなかった豊かさ、便利さを人類にもたらした。
(梅原 猛)
3.しかしこの人間中心主義の近代文明が今や限界にぶつかり、このままでは人類そのもの
の存続が危うくなってきました。この文明の危機を乗り越えるには、人間も太陽・空気
・水といった自然のめぐみによって命を与えられ生かされている一つの生き物であるか
ら大自然の摂理(ルール)にもとづいた、人間として望ましい生き方を心がける事で
ある。(梅原 猛)
4.決して間違ってはいけません。私たちは「生きてきた」のではなく、目には見えない大
いなる力、宇宙の生命を動かしている何かによって(太陽・空気・水等)「生かされて
いる」のです。(瀬戸内寂聴)
5.誰でも納得できる客観的な基準にもとづいた大義なんてないからこそ戦争が絶えない
のだ。(チャーチルの第二次世界大戦回想録)
まさに現代は嵐の海を羅針盤のない船で
航海しているようなものです。どちらへ進んでいいのか判らない。早く羅針盤を取り付
けなければ沈没してしまいます。
6.客観的基準にもとづいた世界共通の大義とは、私達人間も生かされている地球の摂理、
大自然のルールにもとづいた人間として望ましい生き方です。諸行無常・諸法無我・
因縁果報の摂理にもとづいた
耐えて努力できる人になろう
他人(ひと)を思いやれる人になろう
うそを言わない正直な人になろう
こそ、誰でも納得できる人間としての大義です。
これを「宗道」と名付けました。人間として根本的な大切な道という意味です。
7.「ふじの国建国宣言」で川勝平太知事は、「物心ともに豊かな富国有徳の社会を目指
し、和を貴んで世界の平和づくりに参加する事を誓う。」と言っていますが、それには
柱となる人間としての望ましい生き方・人生観が必要です。地球の摂理にもとづいた
「宗道」の生き方が必要です。
8.「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える
「こころ」は行いになってはじめて見える
(宮澤章二「行為の意味」)
だから大自然の摂理(ルール)にもとづいた人間として望ましい生き方こそ大切である。
(梅原 猛・哲学者・文化勲章受章)
2.西洋文明は人間中心主義の思想である。人間は神の似姿である理性を持ち、それによっ
て他の被造物を支配できると考える。その思想はデカルト哲学においてますます顕著と
なる。近代文明としてそれまで考えられなかった豊かさ、便利さを人類にもたらした。
(梅原 猛)
3.しかしこの人間中心主義の近代文明が今や限界にぶつかり、このままでは人類そのもの
の存続が危うくなってきました。この文明の危機を乗り越えるには、人間も太陽・空気
・水といった自然のめぐみによって命を与えられ生かされている一つの生き物であるか
ら大自然の摂理(ルール)にもとづいた、人間として望ましい生き方を心がける事で
ある。(梅原 猛)
4.決して間違ってはいけません。私たちは「生きてきた」のではなく、目には見えない大
いなる力、宇宙の生命を動かしている何かによって(太陽・空気・水等)「生かされて
いる」のです。(瀬戸内寂聴)
5.誰でも納得できる客観的な基準にもとづいた大義なんてないからこそ戦争が絶えない
のだ。(チャーチルの第二次世界大戦回想録)
まさに現代は嵐の海を羅針盤のない船で
航海しているようなものです。どちらへ進んでいいのか判らない。早く羅針盤を取り付
けなければ沈没してしまいます。
6.客観的基準にもとづいた世界共通の大義とは、私達人間も生かされている地球の摂理、
大自然のルールにもとづいた人間として望ましい生き方です。諸行無常・諸法無我・
因縁果報の摂理にもとづいた
耐えて努力できる人になろう
他人(ひと)を思いやれる人になろう
うそを言わない正直な人になろう
こそ、誰でも納得できる人間としての大義です。
これを「宗道」と名付けました。人間として根本的な大切な道という意味です。
7.「ふじの国建国宣言」で川勝平太知事は、「物心ともに豊かな富国有徳の社会を目指
し、和を貴んで世界の平和づくりに参加する事を誓う。」と言っていますが、それには
柱となる人間としての望ましい生き方・人生観が必要です。地球の摂理にもとづいた
「宗道」の生き方が必要です。
8.「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える
「こころ」は行いになってはじめて見える
(宮澤章二「行為の意味」)